金鐘賞:三局が十七年たらい回しにした末、台湾が毎年「私たちのテレビ」に線を引く

2022年10月22日、陳亞蘭(ちん・あらん)はスーツ姿で国父記念館の舞台に立ち、歌仔戯の男役でドラマ番組主演男優賞を獲得した。五十七年間で初めての女性受賞者だった。1965年にラジオのために鋳られたこの鐘は、十七年間ずっと台視・中視・華視という三つの名前の間だけを回っていた。やがて公視、客家ドラマ、ベトナム人俳優が一人また一人と名簿に入ってきた。金鐘賞が毎年授けるのは演技だが、本当に引いているのは一本の線だ——誰が台湾のテレビに数えられ、誰がまだ線の外にいるのか。

金鐘賞:三局が十七年たらい回しにした末、台湾が毎年「私たちのテレビ」に線を引く
画像クレジット: ☼ うみ 目覚めたら / Wikimedia Commons · CC BY-SA 2.0 · 原画像

2022年10月22日の夜、台北の国父記念館。陳亞蘭(ちん・あらん/チェン・ヤーラン)は黒いオフショルダーのドレスを着て舞台に上がった。まだ体は震えていたが、涙はすぐにこらえた——男は涙をたやすく見せないものだから。1

彼女が『嘉慶君遊台湾』で演じたのは歌仔戲の小生(男役)だった。男装、女性が男役を演じる「反串」で、恩師・楊麗花(よう・れいか/ヤン・リーホワ)がかつてテレビで演じていたのと同じ役どころだ。彼女に贈られた賞の名は「ドラマ番組主演男優賞」。金鐘賞は第五十七回にして、初めてこの賞を女性に手渡した。1

まず審査員に礼を述べた。「一人の戯曲役者を認めてくださったこと、ここまで頑張って歩いてきたことに感謝します」。それから恩師について語った。「彼女は私に人としての生き方を教え、演技を教え、男性の役をどう解釈するかを教えてくれました。この賞は本来彼女が受け取るべきものです。でも楊麗花という三文字は、いつまでも私たちみんなの心の中で最優秀主演男優です」。1 この作品を撮るために、彼女は自分の家を三軒売った。2 楊麗花が教えてくれたのは台湾というこの土地の文化を大切にすることだったと彼女は言う。「彼女の立ち振る舞いと言葉が、私の一生に影響を与えました」。3 舞台を降りたあと、彼女は楽屋でまず一本の電話をかけ、楊麗花に吉報を伝えた。4

30秒概要: 金鐘賞は台湾のラジオとテレビの賞で、文化部影視局が主催する。年に三回、ラジオ、番組部門、ドラマ部門に分けて授賞式を行い、ここ数年は台北流行音楽センターで開催されている。1965年にラジオのために創設され、1981年から1997年まで、ドラマ番組賞は一度も台視・中視・華視の外に出たことがなかった。その後、公視、客家ドラマ、歌仔戯の男役、ベトナム人俳優が一人また一人と名簿に入ってきた。この記事が語るのは、金鐘賞が毎年授けているのは演技と番組だが、本当に引いているのは一本の線だということ——誰が「私たちのテレビ」に数えられ、誰がまだ線の外にいるのか。56

歌仔戯には以前、金鐘賞に専用の脇口があった。2007年の奨励要点には独立した「伝統演劇番組賞」があり、京劇、歌仔戯、布袋戯を専門に表彰していたが、2010年に廃止された。78 陳亞蘭が手にしたのは、あらゆる連続ドラマの主演男優たちと同じ枠で競った賞だった。脇口が閉じられてから十二年、歌仔戯は正面玄関から入ってきたのだ。

この鐘が台湾に引いてきた線は、ずっと外へ動き続けてきた。どれだけ動いたかを見るには、まずいちばん狭かった頃に戻らなければならない。

陳亞蘭在 2022 年第 57 屆金鐘獎頒獎典禮台上,穿黑色露肩禮服,手持戲劇節目男主角獎獎座站在麥克風前致詞
2022年10月22日、陳亞蘭が歌仔戯『嘉慶君遊台湾』で第57回ドラマ番組主演男優賞を獲得した。金鐘賞史上初の女性受賞者である。Photo: 三立娛樂星聞. CC BY 3.0 via Wikimedia Commons.

中山堂のあの夜、八つの金鐘に一台のテレビもなかった

1965年7月10日午後八時、台北中山堂。厳家淦(げん・かかん)行政院長が八つの金鐘を一つずつ授与した。受賞したのは正声、中広、軍中放送といったラジオ局で、中広は二座を獲得した。その年、テレビはまだ奨励の対象に入っていなかった。9 新聞局がこの賞に名前を付けたとき念頭にあったのは「教化」だった。公式サイトには今も一節の古文が掲げられており、編鐘は古代の礼器であり、「教俗化民(民を教え導く)」の意を取ったものだと記している。5

テレビが組み込まれたのは1970年前後だった。公式サイトの沿革は1970年と記すが、1971年3月の聯合報は「今年から」と書いている。59 それから二十数年、一本のドラマを台湾じゅうの茶の間に届けられたのは、台視・中視・華視の三局だけだった。

1983年8月、台視は夜八時に『星星知我心』を放送した。呉静嫻(ご・せいかん)が演じたのは不治の病にかかり、五人の子ども一人ひとりに新しい家を探してやる母親だった。翌年の金鐘賞で、この作品はドラマ番組賞を獲得し、彼女は主演女優賞を獲得した。1011 受賞単位の欄に書かれていたのは台視。前年も台視、その前は華視、その後は中視、華視、中視、中視、華視と続いた。1981年から1997年まで、ドラマ番組賞が授与されるたびに、受賞単位はこの三つの名前から一度も出なかった。612 あの時代の台湾人が夜八時に何を見ていたかは、別稿八点枠ドラマに譲る。

この線の最後の数座のうち一座は金超群(きん・ちょうぐん)に贈られた。1995年、彼は『包青天—真假包公』で主演男優賞を獲得した。その作中で使われた龍頭鍘(処刑具の小道具)は三十年後、金鐘賞自らが開く展覧会に展示されることになる。13 二年後、四局目の地上波テレビ局が開局し、名簿にようやく四つ目の名前が加わった。

この十七年間は、審査員の好みとはあまり関係がなかった。名簿がこの三つの名前の間でしか回らなかったのは、名前が三つしかなかったからだ。線が狭いうちは、それが一本の線であることにさえ気づけない。

臺北市中山堂正面外觀,2023 年拍攝,1965 年第一屆金鐘獎就在這棟建築裡頒出八座給電台的獎
台北市中山堂の現在の様子。1965年7月10日午後八時、第一回金鐘賞がここで授与され、八座すべての受賞者がラジオ局だった。Photo: Yu tptw. CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons.

門は開けられるもの、線は審査員が引くもの

線が動き始めたのは、誰かがその横にもう一つ扉を開けたからだった。

台湾で四局目の地上波局である民視が1997年に開局し、二年後には『春天後母心』でドラマ番組賞を獲得した。1415 公視は開局三年目に『曾經』で初めて受賞した。16 さらに後には大愛、そして2011年に『雲頂天很藍』で初めてドラマ番組賞を獲得した客家テレビ、加えて三立と八大のアイドルドラマが続いた。17 受賞単位の欄に初めて製作会社の名前が現れたのは2010年で、『情義月光』の欄に書かれていたのはチャンネル名ではなく永続伝播だった。ここ三年は、名を連ねるのはいずれも製作会社だ。18619 老三台の産業構造がケーブルとプラットフォームによってどう開かれていったかは、別稿台湾テレビ産業史に譲る。

本当に扉を一気に押し開けたのは、大半の視聴者が読んだことのない一枚の文書だった。2017年の奨励要点は、同じ版の中で四つのことを変えた。ネット動画配信プラットフォームで初放送された作品もエントリーできるようになった。公視は傘下にどれだけチャンネルがあっても一つのエントリー単位としか数えなくなった。審査員は誓約書に署名し、受賞名簿発表後は全審査員の名簿が公開されるようになった。ミニシリーズ賞とテレビ映画賞は二つに分けられた。2021 Netflixのようなプラットフォームのドラマが金鐘賞に入り込める入口は、この一条目の数文字の中に生まれていた。

扉が開いて三年後、フォックス製作の『想見你』がドラマ番組賞を獲得し、さらに一年後には台湾大哥大が公視、原子映像と並んで受賞単位の欄に名を連ねた。2223 2024年、ドラマ番組賞の参加基準は分数の合計から話数へと変わり、文化部はメディアに対し OTT 時代への対応だと説明した。24 条文が一行変わっただけで、翌年の名簿には新しい顔ぶれが加わった。

この鐘の扉が開いた回数
1965
新聞局がラジオのために賞を創設
中山堂で八座の金鐘、受賞者は全てラジオ局
1970年前後
テレビが組み込まれる
以後二十数年は台視・中視・華視のみ
1999–2000
民視・公視が初めてドラマ番組賞を獲得
四局目の地上波局と公広グループが名簿入り
2010
製作会社が初めて受賞単位欄に記載
『情義月光』永続伝播
2017
奨励要点を一度に四条改正
ネットプラットフォームのエントリー可、公視の複数チャンネルを一つに算定、審査員名簿公開
2020
外資プラットフォーム作品がドラマ番組賞を獲得
フォックス『想見你』
2022
歌仔戯の男役が主演男優賞を獲得
陳亞蘭、五十七回で初の女性
2025
初のベトナム籍視帝(男優)
連炳発『化外之醫』

出典:金鐘賞公式サイト沿革、文化部歴年奨励要点、影視局歴代受賞名簿

二つ目の規則は公視に関わるもので、絞られたのは公視のエントリー枠だった。民営局はチャンネル数だけ枠を持てるが、公視傘下のチャンネルはいくつあっても合わせて一枠としか数えない。公視は第61回で自らノミネート60項目を発表し、式典の中継を担当したのは三立都会台と公視メインチャンネルだった。2526 枠を一つに絞られた組織、自らノミネート60項目を発表した組織、その夜の中継チャンネルの一つ——どれも同じ公視だ。この三つの事実が同じ年に並んでいることを、どう読むかはあなた次第だ。

要点が扉をどこに開けるかを決める。扉が開いたあと誰が立っていられるかは、その回の審査員が一票一票投じて決める。扉を開けるのは政府で、線を引くのは審査員だ。審査員が線を引くとき、見ているのはもうチャンネルだけではない。

2015 年松山文創園區「金鐘五十.響」特展入口的編鐘造型標誌裝置,金色編鐘懸在展場門口
2015年松山文創園区「金鐘五十」特別展入口の編鐘モニュメント。金鐘の形は六十一年変わっていないが、誰を舞台に立たせるかを決める要点は数年ごとに改正される。Photo: Solomon203. CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons.

線は殺人犯の家に引かれた

2019年10月5日、第54回。『我們與惡的距離(悪との距離)』はドラマ番組賞、主演女優賞、助演男優賞、助演女優賞、脚本賞、監督賞の六座を獲得した。2728 この作品は、無差別殺人事件のあと、加害者の家族、被害者の家族、弁護士、精神疾患を抱える患者がどう生きていくかを描いている。

賈靜雯(か・せいぶん/ジア・ジンウェン)が演じたのは息子を失った母親、宋喬安。デビュー二十九年にして初めて金鐘賞を手にした彼女は、舞台の上でこう語った。「天に感謝します、すべての栄光を『喬安』に捧げます。愛と手放すことによってのみ、前へ進み続けられるのだと皆さんに知ってほしい」。彼女は三人の娘に向けて、母はずっと好きな仕事で努力してきた、あなたたちが大人になっても同じようにあってほしいと語りかけた。29 脚本を書いた呂蒔媛(りょ・じえん)は、執筆中に一度は机をひっくり返してやめたくなったほどだったと言い、舞台では先に公視の懐の深さに感謝したあと、製作陣と監督にとても率直な一言を投げかけた。「お金は少なく渡しておいて、直せとばかり言い、文句ばかり言う」。30 監督の林君陽(りん・くんよう)は、自分たちがやりたかったのは皆を癒し、和解を生み出すことだったと語った。30

同じ夜、主演男優賞は龍劭華(りゅう・しょうか/ロン・シャオホワ)に贈られた。作品は大愛の『菜頭梗的滋味』。27 トロフィーを受け取るなり彼は「爽快だ、本当に爽快だ!」と叫び、続けてこう言った。「この長年夢見てきた賞のために、多くの人を怒らせてしまいました。すみません!でも今の私は成熟しました、もうそんなことはしません」。31

彼が謝った相手は2011年の自分自身だった。その年、彼は『路邊董事長』で主演男優賞にノミネートされたが、『愛∞無限』の潘瑋柏(はん・いはく/パン・ウェイボー)に敗れた。取材に対して彼はこう言い放った。「この金鐘なんて一文の価値もない、クソだ」。3233 祝勝会ではさらにこう付け加えた。「昔は物事がわかっていなくて、了見が狭すぎた。人が賞を取るたびに、自分のほうが上手く演じたと思い込んでいた。あれは間違っていた!」31

一本のドラマが、台湾が直視するのを恐れてきたものをテレビに映し出し、一人の俳優がこの鐘を罵倒してから八年後に戻ってきて賞を受け取った。この二つの出来事は同じ夜、同じ一本の線の上で起きた。

📝 キュレーターノート
『與惡』のあの六座を読むと、最も読み取りやすいのは「この作品はよく撮れている」という感想だ。だが名簿の中に戻して見ると、もっと興味深いのは題材のほうだ。1984年に受賞した作品の主人公は、子どものために新しい家を探す母親だった。2019年に受賞したこの作品では、カメラは殺人犯の家の中へ入っていった。三十五年のあいだに、台湾が自分のテレビで見ようとする人は入れ替わった。審査員が引いたあの線は、チャンネルの上にも、題材の上にも引かれている。

これらの題材は、かつてすべて閉ざされていた

線がいちばん広がっているのは、ここ二年のことだ。

2025年10月18日、第60回。ドラマ番組主演男優賞はベトナム人俳優、連炳発(れん・へいはつ/リエン・ビンファット)に贈られた。彼は『化外之醫』で、火傷を負った母親の世話をするために病院の霊安室で清掃員として働きながら、休日にはひそかに移住労働者を診察するベトナム人形成外科医を演じた。34 舞台の上で彼は「Oh my god」と三度叫び、それから華語でこう語った。「台湾の優しさが大好きで、とても感謝しています」。不法就労の移住労働者について語られるとき、たいていネガティブな見方をされがちだが、この役を通じて観客がベトナム人移住労働者の海外就労を別の角度から見てくれることを願うと述べた。34 受賞後、彼は賞金の半分を在台移住労働者の基金会に寄付すると発表した。35

同じ夜、楊小黎(よう・しょうれい/ヤン・シャオリー)は台湾語チャンネルの『台語有影—啥人顧性命』でミニシリーズ主演女優賞を獲得した。彼女は五歳から演技を始めた。舞台の上でこう語った。「子どもの頃、演技に疲れるといつも、いつか主演女優賞を取ったらこの仕事を続けられると思っていました。三十数年が経って、ついに夢が叶いました」。3637

さらに一年後、第61回のノミネートリストでは、客家テレビが26項目、原住民族テレビが番組部門で8項目にノミネートされ、そのうちアニメ『hata la 異世界』一作だけで4項目を占めた。3839 ドラマ番組賞の5作品のノミネートのうち一本は『都市開基祖』、客家テレビ制作で、MRT(地下鉄)工事の作業員を描いた作品だ。莊凱勛(そう・がいくん/ジョセフ・チュアン)が演じる鍾成財は現場の班長で、トンネルを二十年掘り続けている。4041 このような一本の作品が、公共テレビの『我們與惡的距離 II』と同じ枠で比べられている。41

名簿が発表された日、ある記者がドラマ部門審査委員長の曹瑞原(そう・ずいげん/ツァオ・ルイユエン)に、本土題材と客家作品がこれほど多くノミネートされているのは政治的な介入があるのではないかと尋ねた。彼の答えは「私は審査員として、政治に操られたことは一切ありません」だった。そして、さらに記憶に値する一言を続けた。42

これらの本土のドラマには本当に政治的介入などありません、そういう考えは持たないでください。これらの題材はかつてすべて閉ざされていて、今ようやく現れる機会を得たのですから
曹瑞原,第61回ドラマ部門審査委員会主任委員、2026年9月15日

メディア研究者の羅世宏(ら・せいこう/ルオ・シーホン)は客新聞への寄稿で、客家テレビのようなエスニックメディアはずっと主流市場があまり触れてこなかった題材を補ってきたのであり、メディア表象の核心は「何が可視化され、何が周縁化されるかを決めること」にあると書いている。43

歌仔戯、台湾語、客家語、ベトナム語——ここ数年、一つまた一つと名簿に入ってきた。線はここまで引かれ、1965年のあの七つのラジオ局からはもうずいぶん遠くまで来た。

2021 年第 56 屆電視金鐘獎星光大道終點,紅毯盡頭的媒體區與金鐘背板
2021年10月2日、第56回テレビ金鐘賞レッドカーペットの終点。毎年10月、島じゅうがまずレッドカーペットで顔を確かめ、それから授賞式で名簿を聞く。Photo: Solomon203. CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons.

線の外にも人が立っている:ラジオのもう半分

線が外へ動いていくとき、外に取り残される人もずっといた。最も忘れられがちなのは、この鐘が生まれた場所だ。

金鐘は1965年に生まれたとき純然たるラジオの賞だった。今日でも毎年ラジオの授賞式が開かれ、第61回は1,096件の作品がエントリーし、同じ年のドラマ部門よりも多い。それでもほとんど大衆の視野には入らない。4445 前年の第60回では、客家公共伝播基金会の講客電台が『音樂大亂鬥』という一つの番組で三座を獲得したが、知る人はほとんどいなかった。46

2026年9月、ラジオ部門の金鐘特別賞は該当者なしとなった。唯一推薦を受けていたのは王一明(おう・いちめい/ワン・イーミン)。ラジオの仕事を三十一年続け、長年台湾語文化を推進し、ラジオ金鐘賞も金曲賞も受賞している。ラジオ公会は三年連続で彼に推薦を受けるよう勧め、今年ようやく彼はうなずいた。提出したのは十数枚のCD、八枚のDVD、自著一冊、書道画集一冊だったが、結果は審査基準を通らなかった。4748 彼は言う。「参加者は私一人だけで、相手は空気です。該当者なしにしてもらっても構いません。でもあなた方は、私がどれだけダメなのかを証明しなければなりません」。さらにこう続けた。「金鐘賞の意義は励ますことにあり、取り上げることにあるのではありません」。4847

審査員の方笛(ほう・てき/ファン・ディー)は、ラジオ業界に人材がいないわけではなく、放送局がパーソナリティ、プロデューサー、エンジニアのうち誰を推薦すべきか分からず、他部門の機嫌を損ねることを恐れた結果、「Aを推薦してBの機嫌を損ねるくらいなら、いっそ誰も推薦しない」という結末になってしまうのだと語った。47

📝 キュレーターノート
「金鐘」は多くの人の頭の中で、ドラマ部門のあの夜とイコールになっている。ラジオ部門の半分も同じように審査員が案件ごとに投票し、同じように受賞後に審査員名簿を公開しており、1965年からずっと記録され続けてきた。同じ一つの鐘が引いた線なのに、半分は見えていて、半分は見えていない。

線の外にいる人はラジオだけではない。2013年以降、報道番組は明文でテレビ金鐘の奨励対象から除外されており、この鐘の中でキャスターが取れるニュース賞は存在しない。49 2022年第57回、11項目にノミネートされていた『華燈初上』は一つも受賞しなかった。審査委員長の陳慧玲(ちん・けいれい/チェン・ホエイリン)は「私たち審査員の多くは(華燈初上が)好きでした、一つも受賞できなかったのは本当に残念です」と語り、プロデューサー兼主演の林心如(りん・しんじょ/ルビー・リン)はこう応じた。「私たちが足りなかったということでしょうか」。50

2020年には、自ら線の外へ出ていった一群の人々もいた。その回、バラエティ番組司会者賞のノミネート枠は例年の五つから四つに減らされた。審査委員長の瞿友寧(く・ゆうねい/チュー・ヨウニン)はこう語った。「ネット番組の台頭が多くの人材を連れ去りました」。51 彼らはネットへ行き、線のこちら側からはいくつかの名前が消えた。

一本の線が引かれ、線の内側にいる人は舞台に上がり、線の外にいる人は声を上げる。金鐘賞が毎年騒がしいのは、いつもこのことをめぐってだ。「三金」の残る二つ、音楽を司る金曲奨と映画を司る金馬賞にも、それぞれの線がある。

今年の線は、10月24日の夜にようやく引かれる

第61回の三つの式典はすべて北流で行われる。ラジオ部門が10月17日に先に授与され、番組部門が10月23日、ドラマ部門が10月24日だ。52 名簿はすでに刷り上がっている。『我們與惡的距離 II』と『忘了我記得』が各13項目で並び、一方は公視系、一方はNetflixだ。53 Netflixの台湾ドラマ5作は合計40項目にノミネートされ、広報資料は史上最高だとしているが、三年前の第58回でも40項目だった。5455

昨年のドラマ部門の夜、公式 YouTube 配信には同時に約17万人が視聴していた。56 その前夜の番組部門の式典では、小 S(シャオエス)がバラエティ番組司会者賞を獲得し、「ママ、姉はもういないけど、私はまだここにいるよ」と語った。同じ夜、蔡康永(さい・こうえい/ツァイ・カンヨン)は、時代がどう変わっても人には寄り添いが必要だと語った。57 あなたもおそらく、その17万人のうちの一人だっただろう。スマートフォンを手に、一つの名前が読み上げられるのを待ちながら。

金鐘賞公式チャンネル:2025年第60回ドラマ部門授賞式の配信アーカイブ。この回は同時視聴者数が約17万人に達し、連炳発と楊謹華(よう・きんか/ヤン・ジンホワ)がこの夜、それぞれ主演男優賞と主演女優賞を獲得した。

昨年の式典の前後、影視局は華山で「60/60」特別展を開催し、六十回にわたって読み上げられてきた名簿を目に見える形にした。『包青天』で使われた龍頭鍘の実物道具もその会場に展示されていた。58 三十年前、金超群がこの作品で賞を獲得した時代、名簿はまだ三つの名前の間を回っているだけだった。

今年はすでに一つの賞が先に授与されている。特別貢献賞は呉進成(ご・しんせい/ウー・ジンチェン)に贈られた。コンピュータグラフィックのなかった時代に、彼は一筆一筆、手でセットデザイン画と施工図を描き続けて四十数年、「紙の上の監督」と呼ばれてきた。『龍兄虎弟』の美術監督を務め、楊麗花歌仔戯の美術監督も務めた。59

楊麗花がテレビで歌仔戯を演じていた時代、ドラマ番組賞はまだ三つの名前の間を回っており、呉進成は彼女の作品の舞台美術を描いていた。数十年後、彼女の弟子が主演男優賞を手にし、舞台での最後の言葉は「私は台湾を愛しています、ファンを愛しています、皆さんを愛しています、歌仔戯を愛しています」だった。降壇するとすぐに彼女へ電話をかけた。1 舞台美術を描いていた人は特別貢献賞を受け取った。同じ一つの鐘が、舞台の前と後ろにいた二人を記録したのだ。

1965年の中山堂のあの夜、厳家淦は八座の金鐘を授与したが、一台のテレビもなかった。2026年10月24日の夜、北流の灯りはまだ点いていない。今年の線がどこに引かれるのか、誰が線の内側にいて誰がまだ外にいるのか——それはあの夜になって初めて読み上げられる。


関連記事:

  • 公視 — 1998年に開局した公広グループが『曾經』から第61回ノミネート60項目まで、どうたどり着いたのか。この名簿にいちばん頻繁に現れる名前
  • 植劇場 — 2017年、2018年と二回連続でドラマ番組賞を獲得したあの企画。受賞単位欄に初めて「好風光」が現れた
  • 台灣電視產業史 — 老三台が十七年間独占した産業構造がどう形成され、ケーブルとプラットフォームによってどう開かれていったのか
  • 八點檔 — 『星星知我心』『包青天』の時代、台湾人は夜八時に何を見ていたのか
  • 金曲獎 — 三金のもう一つ、台湾が自らの音楽に賞を贈り、どの声が記憶に値するかを記録する場所

画像出典

本記事では5枚のCCライセンス画像を使用しており、すべて public/article-images/culture/ にキャッシュしてホットリンクによる配信元サーバーへの負荷を避けています。1本の動画は金鐘賞公式 YouTube チャンネルの標準埋め込みです。

参考資料

  1. 中央社 — 陳亞蘭金鐘稱帝創紀錄 — 2022年10月22日の報道。陳亞蘭の受賞スピーチを逐語的に記録している。「今年の審査員に感謝します、一人の戯曲役者を認めてくださったこと」「楊麗花という三文字は、いつまでも私たちみんなの心の中で最優秀主演男優です」「私は台湾を愛しています、ファンを愛しています、皆さんを愛しています、歌仔戯を愛しています」。また、楊麗花について「彼女は私に人としての生き方を教え、演技を教え、男性の役をどう解釈するかを教えてくれました、この賞は本来彼女が受け取るべきものです」と語ったこと、登壇時に激しく震えながらもすぐに涙をこらえた「男は涙をたやすく見せないものだから」という発言、および「私は台湾を愛しています、ファンを愛しています、皆さんを愛しています、歌仔戯を愛しています」も逐語的に記録している。↩234
  2. 鏡週刊 — 女扮男奪視帝創首例 陳亞蘭謝恩師:這個獎也是屬於楊麗花的 — 2022年10月22日の報道。陳亞蘭が『嘉慶君遊台湾』を撮るために自宅を三軒売却したことを明かしたこと、そして楊麗花の立ち振る舞いと言葉が自分の一生に影響を与えた、この賞も楊麗花のものだと語ったことを記録している。↩
  3. TVBS — 首位金鐘「女視帝」!陳亞蘭奪男主角淚謝恩師楊麗花:教我做人 — 2022年の報道。陳亞蘭が、楊麗花から台湾というこの土地の文化を大切にするよう教わったこと、「彼女の立ち振る舞いと言葉が私の一生に影響を与えました、もし今日私に小さな成果があるとすれば、それはすべて彼女が与えてくれたものです」と語ったこと、また三軒の家は三十数年の倹約によって得たものだったことを逐語的に記録している。↩
  4. CTWANT — 金鐘 57/楊麗花電視機前驚訝 陳亞蘭後台報喜 — 2022年の報道。陳亞蘭が受賞後、楽屋から恩師の楊麗花に電話をかけて吉報を伝えたことを記録している。祝勝会での取材時に本人が語った内容による。↩
  5. 金鐘獎官網 — 關於金鐘(第 60 屆版) — 文化部影視及流行音樂産業局の公式沿革ページ。1965年に新聞局が創設、1968年に教育部文化局が引き継ぎ、1975年に新聞局へ回帰、1993年にラジオとテレビの授賞式が分離、1995〜1999年は民間との共催、2000〜2003年は広電基金が運営、2012年に影視局が第47回を引き継いだことなど、すべての制度上の節目を記録している。また「編鐘は中華古代の教化の礼器である」という賞名の由来も記載している。↩23
  6. 維基百科 — 金鐘獎戲劇節目獎得獎列表 — 回ごとの受賞作品と受賞単位の索引。1971年第7回から1978年第14回までは「大衆娯楽性番組」に分類され、1981年第16回以降は「ドラマ番組」系の賞名で2025年第60回まで続く。ページにはドラマ番組賞の初回授与が1981年であることが記されており、1981〜1997年の受賞単位がすべて台視・中視・華視であったこと、および1994年、1996年、1998年の三年はテレビ部門の受賞記録がなかったことを確認するために用いた。本文中の主要な回については、影視局の公式ページでも別途照合している。↩23
  7. 文化部主管法規查詢系統 — 96 年度電視金鐘獎獎勵要點 — 2007年版の要点。中国大陸および外国籍の人物が主演・助演を務める人数について「当該番組の主演・助演の総人数の三分の一を超えてはならない」という配分規定、独立した「伝統演劇番組賞」、そして各賞の賞金が新台湾ドル10万元であったことを記録している。↩
  8. 維基百科 — 第 45 屆金鐘獎 — 2010年の受賞名簿索引。ドラマ番組賞『大愛劇場-情義月光』の製作会社は永続伝播、放送局は大愛テレビ。本回から伝統演劇番組賞の授与が停止されたことも記録している。↩
  9. 報時光 — 金鐘獎設獎之初未獎勵電視?! — 聯合報系が1965年7月11日の聯合報原版を転載したもの。第一回式典が「昨(十)日午後八時、台北市中山堂で行われ、厳家淦行政院長が授与を主宰した」ことと八座の受賞者名簿を記録している。また1971年3月3日の聯合報「文化局は今年から、テレビ番組を奨励範囲に組み入れる」という記述も引用している。↩2
  10. 中央社 — 開箱老照片》催淚神劇「星星知我心」 — 『星星知我心』が1983年8月15日から10月7日まで台視で初放送されたこと、1984年第19回金鐘賞でドラマ番組賞と呉静嫻の主演女優賞など複数の賞を受賞したことを記録している。↩
  11. 維基百科 — 星星知我心 — 条目に1983年8月15日初放送、10月7日終了、毎週月曜から金曜20:00〜21:00、全40話、金鐘賞ドラマ番組賞受賞作品として記載されている。放送日程を補うために用い、受賞回は中央社の報道と別途照合した。↩
  12. 文化部影視及流行音樂產業局 — 84 年度電視金鐘獎入圍名單 — 1995年第30回の公式ノミネート名簿。連続ドラマ部門は『兄弟有緣』『地久天長』『戲說慈禧』の三作がノミネートされ、受賞した『兄弟有緣』は華視の作品である。↩
  13. 維基百科 — 金鐘獎戲劇節目男主角獎得獎列表 — 賞名の沿革索引。1980年第15回から2008年第43回までの間にこの賞が九つの異なる名称を使ってきたこと、および1995年に金超群が『包青天-真假包公』で受賞したことを記録している。↩
  14. 維基百科 — 民間全民電視公司 — 条目に、民視が1997年3月27日に創立、民視無線テレビが1997年6月11日に開局し、台湾で四局目に開局した地上波テレビ局、初の民営地上波テレビ局であったと記載されている。↩
  15. 文化部影視及流行音樂產業局 — 88 年度電視金鐘獎入圍名單 — 1999年第34回の公式ノミネート名簿。民視『春天後母心』が挙げられており、同作は民視が初めてドラマ番組賞を獲得した作品である。↩
  16. 文化部影視及流行音樂產業局 — 89 年度電視金鐘獎入圍名單 — 2000年第35回の公式ノミネート名簿。公視『曾經』が挙げられており、同作は公視が初めてドラマ番組賞を獲得した作品である。↩
  17. 文化部影視及流行音樂產業局 — 100 年電視金鐘獎得獎名單 — 2011年第46回の公式受賞名簿、発表日2011-10-24。ドラマ番組賞「客家劇場—雲頂天很藍(客家テレビ)」、ドラマ番組脚本賞「黄雨佳/客家劇場—雲頂天很藍(客家テレビ)」、ドラマ番組助演女優賞は朱芯儀『犀利人妻』。↩
  18. 文化部影視及流行音樂產業局 — 99 年電視金鐘獎得獎名單 — 2010年第45回の公式受賞名簿、発表日2010-10-25。ドラマ番組賞「大愛劇場-情義月光(永続伝播有限公司)」、受賞単位には製作会社のみが記載されている。↩
  19. 文化部影視及流行音樂產業局 — 113 年度戲劇類金鐘獎得獎名單 — 2024年第59回の公式受賞名簿。ドラマ番組賞『有生之年』、製作単位は豊采文創、有影拍浪文化、聯利媒體の三社。参加単位にはほかに百聿数碼と時創影業も含まれる。↩
  20. 金鐘獎官網 — 106 年度電視金鐘獎獎勵要點(第 52 屆) — 2017年第52回の公式サイトにアーカイブされた要点全文。「インターネット動画配信プラットフォーム」のエントリー資格、「政府出資で設立されたテレビ事業が複数のチャンネルを有する場合、一つの放送チャンネルとして算定する」、審査員誓約書、「受賞名簿発表後、全審査委員の名簿を対外公開する」の初出、およびミニシリーズ賞とテレビ映画賞の分離を記録している。↩
  21. 文化部主管法規查詢系統 — 105 年度電視金鐘獎獎勵辦法 — 2016年版の要点。106年度版との対照群として、インターネット動画配信プラットフォーム条項が存在しないこと、チャンネル算定が客家語・原住民族語チャンネルのみを対象としていたこと、ミニシリーズとテレビ映画がまだ一項目に統合されていたことを示す。↩
  22. 文化部影視及流行音樂產業局 — 109 年度電視金鐘獎得獎名單 — 2020年第55回の公式受賞名簿。ドラマ番組賞『想見你』、参加・製作単位はいずれも「香港商フォックスメディア有限公司台湾支社/三鳳有限公司」。↩
  23. 文化部影視及流行音樂產業局 — 110 年度電視金鐘獎得獎名單 — 2021年第56回の公式受賞名簿。ドラマ番組賞『天橋上的魔術師』、参加・製作単位は公視、原子映像、台湾大哥大の三者が並列。↩
  24. 公視新聞網 — 金鐘 59/戲劇節目獎改看總集數 — 2024年の報道。ドラマ番組賞の参加基準が各話合計480分から総話数10話以上へと変更されたこと、文化部が OTT 時代の傾向への対応であり分数を基準とする論理を打破するためだと説明したことを記録している。本文では記者の要約を用いており、直接引用符は付していない。↩
  25. 公視新聞網 — 公視共入圍 60 獎項【涉己新聞】 — 2026年9月15日、公視自身による発表。原文は「公視は今(2026)年度の金鐘賞で、合計60項目にノミネートされた」。公視自身が「自局関連ニュース」と明記している。↩
  26. 維基百科 — 第 61 屆金鐘獎 — 2026年の条目索引。本回の式典の中継単位が三立都会台と公視メインチャンネルであったこと、ドラマ部門のノミネート最多が『我們與惡的距離 II』と『忘了我記得』の各13項目であったことを記録している。↩
  27. 中央社 — 第 54 屆金鐘獎完整得獎名單 — 2019年10月5日の逐語名簿。『我們與惡的距離』がドラマ番組、主演女優、助演男優、助演女優、脚本、監督の六座を獲得し、主演男優賞は龍劭華『菜頭梗的滋味』であったことを記録している。↩2
  28. 文化部影視及流行音樂產業局 — 108 年度電視金鐘獎得獎名單 — 2019年第54回の公式受賞名簿。ドラマ番組賞『我們與惡的距離』の参加・製作単位は財団法人公共電視文化事業基金会/大慕影芸国際事業有限公司。ドラマ番組主演男優賞は龍劭華『菜頭梗的滋味』、エントリー・製作単位は財団法人慈済伝播人文志業基金会。↩
  29. 中央社 — 賈靜雯出道 29 年首摘金鐘視后:所有榮耀歸功宋喬安 — 2019年10月5日の報道。賈靜雯の第54回受賞スピーチ「天に感謝します、すべての栄光を『喬安』に捧げます。愛と手放すことによってのみ、前へ進み続けられるのだと皆さんに知ってほしい」と、娘たちに向けた「母はずっと好きな仕事で努力してきました、あなたたちが大人になっても、私と同じように努力してほしい」という発言を逐語的に記録している。また彼女が『我們與惡的距離』で息子を失った母親を演じたことも記している。↩
  30. 風傳媒 — 金鐘 54《我們與惡的距離》六獎大贏家 — 2019年の報道。脚本家の呂蒔媛が舞台上で製作陣と監督に脚本を変えないよう訴えた原文「お金は少なく渡しておいて、直せとばかり言い、文句ばかり言う」を記録している。また執筆中に一度机をひっくり返してやめたくなったこと、公視の懐の深さへの感謝を述べたことの要約、および監督の林君陽が癒しと和解について語った内容の要約も記している。↩2
  31. TVBS — 奪下視帝喊「爽」卻道歉 龍劭華:過去心胸太狹小 — 2019年10月の報道。龍劭華の第54回受賞スピーチ「爽快だ、本当に爽快だ!」「この長年夢見てきた賞のために、多くの人を怒らせてしまいました。すみません!でも今の私は成熟しました、もうそんなことはしません」と、祝勝会での「昔は物事がわかっていなくて、了見が狭すぎた。人が賞を取るたびに、自分のほうが上手く演じたと思い込んでいた。あれは間違っていた!」という反省の弁を逐語的に記録している。↩2
  32. ETtoday 星光雲 — 龍劭華砲轟金鐘一文不值 — 2011年第46回後の報道。龍劭華が『路邊董事長』で主演男優賞にノミネートされたが潘瑋柏に敗れたこと、取材時の原文「私は納得できずに負けた、この金鐘なんて一文の価値もない、クソだ」、審査員が受賞理由を新人の奨励としていたことを記録している。↩
  33. NOWnews — 潘瑋柏封帝往事:龍劭華痛譙金鐘一文不值(回顧報導) — 回顧報道。2011年に潘瑋柏がドラマ番組主演男優賞を獲得した際、同時にノミネートされていた龍劭華が「この金鐘なんて一文の価値もない、クソだ」と痛烈に批判したことを逐語的に記載している。ETtodayの元の報道の裏付けとなる第二の情報源として用いた。↩
  34. 噓星聞 — 金鐘 60/首位越南籍視帝!連炳發飆華語 — 聯合報系による2025年第60回の報道。ベトナム国籍の俳優、連炳発が『化外之醫』でドラマ番組主演男優賞を獲得し、金鐘賞史上初のベトナム国籍の受賞者となったことを記録している。↩2
  35. 中央社 — 連炳發捐一半獎金助移工 — 2025年10月19日の報道。連炳発が受賞後、賞金の半分を外国籍移住労働者の在台関連基金会に寄付すると発表したことを記録している。↩
  36. 公視+劇夠 — 第 60 屆戲劇類金鐘獎完整得獎名單 — 2025年10月17日の逐語名簿。主演男優は連炳発『化外之醫』、主演女優は楊謹華『影后』、ミニシリーズ主演女優は楊小黎『台語有影—啥人顧性命』、ドラマ番組賞は『影后』であったことを含む。↩
  37. 公視+劇夠 — 楊小黎從紅毯主持走向舞台獲女主角獎 — 2025年の報道。楊小黎が五歳で子役デビューしたことを記録し、第60回の受賞スピーチ「子どもの頃、演技に疲れるといつも、いつか主演女優賞を取ったらこの仕事を続けられると思っていました。三十数年が経って、ついに夢が叶いました」を逐語的に記録している。↩
  38. 客新聞 — 金鐘 61/客家電視台戲劇、節目入圍 26 獎項 — 客家公共伝播基金会ニュースプラットフォームによる2026年9月15日の自局発表。客家テレビが26項目にノミネートされ、そのうちドラマ部門は『屋下無人』8項目、『都市開基祖』7項目、『小包袱』5項目、番組部門6項目(『客家廚房2』の3項目を含む)であったことを記録している。↩
  39. 噓星聞 — 原住民族電視台第 61 屆金鐘獎入圍 8 項 — 2026年9月の報道。原視の5番組が番組部門で合計8項目にノミネートされ、アニメ『hata la 異世界』一作だけでアニメ番組賞、革新賞、美術デザイン賞、音響デザイン賞の4項目にノミネートされたことを記録している。↩
  40. 客新聞 — 金鐘 61/《都市開基祖》入圍 7 獎!莊凱勛、周渝民互爭影帝寶座 — 2026年9月15日の報道。客家テレビ『都市開基祖』がMRT 工事作業員の物語を描いていること、ドラマ番組賞など七項目にノミネートされたこと、莊凱勛がトンネルを二十年掘り続ける現場班長・鍾成財を演じていることを記録している。↩
  41. TVBS — 2026 金鐘獎入圍名單|金鐘 61 戲劇節目完整名單 — 2026年9月15日の完全なノミネート名簿。ドラマ番組賞の5作品は『我們六個』『我們與惡的距離 II』『都市開基祖』『喝酒吧!笨蛋』『監所男子囚生記』で、『我們與惡的距離 II』は13項目にノミネートされている。↩2
  42. NOWnews — 金鐘評選遭疑政治介入!曹瑞原發聲反駁 — 2026年9月15日の報道。ドラマ部門審査委員長の曹瑞原の回答を逐語的に記録している。「外部には映像産業の製作についてイデオロギー的な考え方をする人が多くいますが、私は審査員として、政治に操られたことは一切ありません」。報道には疑義を呈した側が誰であるかは明記されていない。↩
  43. 客新聞 — 羅世宏/26 項金鐘入圍背後:客家電視為什麼重要? — 2026年9月17日の評論。客家テレビがエスニックメディアとして長らく主流市場があまり触れてこなかった題材を補ってきたことを指摘し、文化研究学者ホールがメディア表象について「何が可視化され、何が周縁化されるかを決めること」と論じた言葉を引用している。↩
  44. 文化部影視及流行音樂產業局 — 115 年度廣播金鐘獎入圍名單新聞稿 — 2026年9月9日の公式プレスリリース。原文「今年度のラジオ金鐘賞は計280社が1,096件の作品でエントリーし、計140件の作品がノミネートされ、番組賞、個人賞、広告賞、ポッドキャスト賞、放送局経営革新賞など29の賞を競う」。↩
  45. more-news — 第 61 屆金鐘獎戲劇及節目類入圍記者會 — 2026年9月15日の記者会見の逐語報道。122社がエントリーし、ドラマ部門824件、番組部門883件の応募のうち、ドラマ部門135件、番組部門101件がノミネートされ、それぞれ27と20の賞を競うこと、生涯功労賞は林登義、特別貢献賞は呉進成であったことを記録している。↩
  46. 客新聞 — 廣播金鐘 60/《音樂大亂鬥》摘 3 金 — 2025年10月11日の報道。講客ラジオ電台『音樂大亂鬥』が三座を獲得したこと、その回が253社、1,113件の作品エントリーという規模であったことを逐語的に記載している。↩
  47. 自由娛樂 — 廣播金鐘特別獎從缺惹議 — 2026年9月11日の報道。第61回ラジオ部門の金鐘特別賞が該当者なしとなり、唯一推薦を受けていた王一明が審査基準に届かなかったこと、ラジオ商業同業公会理事長の丁文祺(てい・ぶんき/ディン・ウェンチー)と審査員の方笛の反応、および推薦を受けた本人が取材で語った「金鐘賞の意義は励ますことにあり、取り上げることにあるのではない」という言葉を、本人への直接取材として引用している。↩23
  48. 自由娛樂 — 被力薦 3 年才點頭!王一明擦身金鐘特別獎 親揭完整送審內容 — 2026年9月の報道。王一明がラジオ業界で三十一年働いてきたこと、ラジオ公会が三年連続で強く推薦し続けてようやく本人が受諾したこと、審査に提出した資料が実物 CD 十数枚、DVD 8枚、著書『王一明廣播會客室』と書道展画集であったこと、そして彼の原文「参加者は私一人だけで、相手は空気です。該当者なしにしてもらっても構いません。でもあなた方は、私がどれだけダメなのかを証明しなければなりません」を記録している。↩2
  49. 文化部主管法規查詢系統 — 102 年度電視金鐘獎獎勵辦法 — 2013年版。「ニュース報道、ニュース特集、あるいは時事問題を主な内容とするニュース系番組は、本弁法の奨励対象に属さない」という除外条項が初めて登場している。↩
  50. 中央社 — 華燈初上 11 項入圍全落空 — 2022年10月23日の報道。審査委員長の陳慧玲「私たち審査員の多くは(華燈初上が)好きでした、一つも受賞できなかったのは本当に残念です」と、林心如「私たちが足りなかったということでしょうか」を逐語的に記録している。↩
  51. 中央社 — 金鐘獎節目主持人入圍減少 評審盼藉名單凸顯困境 — 2020年8月26日の報道。第55回審査委員長の瞿友寧の発言「ネット番組の台頭が多くの人材を連れ去りました」を逐語的に記録し、クイズ・リアリティ番組賞、バラエティ番組司会者賞のノミネート枠が例年の5名から4名に減らされたことを記している。↩
  52. 金鐘獎官網 — 第 61 屆典禮資訊 — 2026年第61回の公式ページ。ラジオ金鐘賞が10月17日、番組部門が10月23日、ドラマ部門が10月24日に台北流行音楽センターで開催されること、およびレッドカーペットと式典のスケジュールを記録している。↩
  53. 遠見 — 第 61 屆金鐘獎入圍名單 — 2026年9月15日の報道。『我們與惡的距離 II』と『忘了我記得』が各13項目でドラマ部門の最多ノミネートに並んだことを記録している。↩
  54. Netflix Newsroom — Netflix Shines Bright at 2023 Golden Bell Awards With 40 Nominations and 12 Wins — Netflix 公式プレスリリース、2023年10月22日。第58回で台湾自社製作ドラマ4作が合計40項目のノミネートと12座の受賞(『模仿犯』17、『人選之人—造浪者』14、『池塘怪談』7、『媽別鬧了』2)を得たこと、2026年第61回では5作品が40項目にノミネート(『忘了我記得』13、『回魂計』10、『乩身』9、『如果我不曾見過太陽』6、『百萬人推理』2)という数字がNetflixの第61回ノミネート広報資料に基づくものであることを記録している。↩
  55. Stuff Taiwan — 40 項大獎提名創下歷史新高!Netflix 五大獨播華語影集橫掃第 61 屆金鐘獎 — 2026年9月16日、Netflix 第61回ノミネート広報資料を転載したもの。5作品40項目ノミネートの内訳数字(『忘了我記得』13、『回魂計』10、『乩身』9、『如果我不曾見過太陽』6、『百萬人推理』2)と、「昨年の29項目ノミネートから大幅に増加した」というプラットフォーム側の発表の出典である。↩
  56. 關鍵評論網 — 第 60 屆金鐘獎典禮收視與新媒體觀看數字 — 2025年10月20日の報道。三立が発表した数字を引用している。二回の式典のテレビ総視聴人口は約505.5万人回、公式 YouTube 視聴回数は番組部門101万回、ドラマ部門136万回、ドラマ部門の同時視聴者数は約17万人、視聴率のピークは小 S が司会者賞を発表した際の5、潘迎紫登場時の5.02であった。↩
  57. 遠見 — 小 S 與蔡康永金鐘重現《康熙來了》 — 2025年10月17日の報道。小 S がバラエティ番組司会者賞を獲得した後の感想「ママ、姉はもういないけど、私はまだここにいるよ」を逐語的に記録している。↩
  58. 文化部 — 金鐘 60/60 特展新聞稿 — 文化部の公式プレスリリース。特別展が華山1914文創園区の中7B 館で2025年10月19日まで開催されること、四つの展示エリアと展示品リスト(『包青天』龍頭鍘などの実物道具、『嘉慶君遊臺灣』の造船シーン、『愛情青紅燈』ラジオ特刊、歴代の金鐘賞トロフィーを含む)を記録している。↩
  59. 公視新聞網 — 金鐘 61/奠定台灣電視製播基礎 林登義、吳進成獲特別獎 — 2026年9月15日の報道。特別貢献賞受賞者の呉進成が「紙の上の監督」と呼ばれていること、コンピュータグラフィックのなかった時代に手でセットデザイン画と施工図を四十数年描き続けてきたこと、『龍兄虎弟』と楊麗花歌仔戯の美術監督を務めたこと、『新白娘子傳奇』で第28回美術監督賞にノミネートされたことを記録している。↩
この記事について この記事はコミュニティとAIの協力により作成されました。
タグ
金鐘賞 テレビ史 ラジオ 公視 Netflix 影視局 授賞式 歌仔戲
共有

関連記事

こちらもおすすめ

音楽 正式記事

金曲奨:台湾が自らの音楽に賞を贈り、三十五年にわたり一生記憶に残る瞬間を刻んできた場所

2024 年の台北アリーナで、草東沒有派對は二度目の伝説をつくり、マネージャーが代理で受賞し、会場全体が亡くなったドラマーのために沈黙しました。三十五年にわたり、金曲奨は蔡琴の一通の手書きの手紙から国家級の式典へと成長し、周杰倫の『范特西』、張恵妹の 14 回ノミネートを戴冠させ、台湾語、客語、原住民族語の歌にも最高栄誉を授けてきました。ここは台湾が自らの音楽に賞を贈り、どの声が記憶されるべきかを決める場所です。

閱讀全文
人物 正式記事

桂綸鎂

『不能說的秘密』から国際映画祭の常連へ、控えめな実力派女優

閱讀全文
人物 正式記事

李安(り・あん/アン・リー):二つのアカデミー賞の裏側にいた、父親にきちんとさよならを言えなかった息子

2006年のアカデミー賞の舞台で、李安(り・あん/アン・リー)は史上初のアジア系最優秀監督賞受賞者となりながら、国語(台湾の標準中国語)で「皆さんのご心配ありがとうございます」と語った。世間は二つのオスカー像という「台湾の光」を覚えているが、彼が一生撮り続けたのは抑圧と恐怖、そして二年前に突然他界し、一貫して彼の映画製作に反対していた父親だった。六年間家で料理を作り続けた無職の婿養子からベネチア国際映画祭二度の金獅子賞まで、彼の真の対手は決して撮影現場ではなく、乗り越えられなかった自分自身だった。

閱讀全文
人物 正式記事

林強:『向前走』のホームから『黒衣の刺客』カンヌまで、台湾語ロックの叛逃者の30年

1990年12月7日、26歳の彰化人・林志峰は『向前走』で台湾語の歌を悲哀調からロックへ変え、3年後にはほとんど歌うことをやめました。『南国再見、南国』から『黒衣の刺客』まで、4つの金馬奨、カンヌの映画原声帯賞、2018年の国家文芸賞——彼は30年かけてスター身分を畳み込み、侯孝賢と賈樟柯の背後でシンセサイザーを操る人物となりました。

閱讀全文