張忠謀(ちょう・ちゅうぼう/モリス・チャン)は、「半導体の教父」と称される伝説的企業家であり、台湾積体電路製造股份有限公司(TSMC)の創業者である。彼は世界初の専業ウェハー受託製造会社を生み出し、世界のテクノロジー産業のエコシステムを塗り替えるビジネスモデルを切り開いた。アメリカのテキサス・インスツルメンツにおける華人幹部から、台湾に戻ってTSMCを創業するまで、その人生の軌跡は世界の半導体産業の発展そのものを体現するとともに、台湾を世界のテクノロジーサプライチェーンにおける核心的な地位へと押し上げた。
30秒でわかる概要
世界はなぜ張忠謀を知るべきか
張忠謀が創業したTSMCは、世界のウェハー受託製造企業の中で最高の時価総額を誇り、現代デジタル文明を支える重要な礎である。スマートフォンやパソコンからAIチップに至るまで、世界の先進的な半導体の大半はTSMCによって製造されている。彼が切り開いた「純粋受託製造」というビジネスモデルは、無数のテクノロジー企業が巨額の資金を投じてウェハー工場を建設せずともチップ設計に専念できる道を開き、世界のテクノロジー産業のエコシステムを根本から塗り替えた。
TSMCは台湾の「護国神山」と呼ばれ、地政学において代替不可能な戦略的地位を占めている。張忠謀は20世紀において産業構造そのものを真に変えた数少ない人物の一人である。半導体業界のビジネスの境界を再定義し、台湾を受託製造の出発点から世界のテクノロジーサプライチェーンの中核ノードへと押し上げたのだ。
1931年、浙江省寧波市に生まれ、1987年に台湾でTSMCを創業した張忠謀の人生そのものが、20世紀アジアにおける技術的台頭の縮図である。
幼少期と教育背景
激動の時代を生きた成長の軌跡
出生と家庭背景:
1931年7月10日、張忠謀は中国浙江省寧波市に生まれた1。父の張蔚観(ちょう・いかん)は銀行家、母の徐君偉(じょ・くんい)は書香の家柄の出身だった。あの動乱の時代にあって、文史に通じ蔵書豊かな家庭に育ったことが、後に工学の道へ進んでからも彼に人文的な視野を保たせることになった。
幼少期の転居経験:
戦乱のため、張忠謀の幼少期は転居の連続だった。寧波から上海、南京、重慶、再び上海、そして広州、香港を経て、最後にアメリカへ——この流転の経験が、彼の適応力と国際的な視野を育んだ。
香港での学生時代:
1945年、抗日戦争の勝利とともに一家は上海に移り、彼は南洋模範中学に入学した。1948年、国共内戦のさなか、17歳の張忠謀は家族とともに再び香港へ移った1。翌年、彼は香港からアメリカへ渡り、留学の途についた。
アメリカ留学における重要な転機
ハーバード大学での短い日々:
1949年、18歳の張忠謀はハーバード大学に入学し2、最初は文学を専攻した。しかし1年後、文学への情熱の欠如と経済的な事情から、マサチューセッツ工科大学(MIT)へ転学した。
MITでの工学教育:
MITで、張忠謀は機械工学を専攻に選んだ。この選択は一見偶然に見えるが、半導体製造の核心である精密機械プロセスにおいて第一線の工学的直感を培うことになり、後にTSMCのプロセス改善を主導するうえで重要な基礎となった。
1952年、学士号を取得:
張忠謀は1952年、MITで機械工学の学士号を取得した3。卒業時はちょうど朝鮮戦争のさなかで、外国人留学生という身分ゆえにアメリカ軍関連の職には就けなかった。だが、この制約がかえって彼を民間工業へと導くことになった。
キャリアの出発点:シルバニア社
半導体業界への第一歩
1955年の機会:
卒業後、張忠謀はシルバニア(Sylvania)社に3年間勤め4、ここで初めて半導体業界に触れた。当時の半導体産業はまだ黎明期にあったが、張忠謀はこの新興産業の巨大な潜在力を鋭く感じ取っていた。
技術力の醸成:
シルバニアでは半導体デバイスの製造を担当し、半導体プロセスの基礎知識を身につけた。この経験を通じて半導体製造の複雑さと精密さを理解し、技術的な細部へのこだわりも培われた。
マネジメントの才の芽生え:
現場の技術職にあっても、張忠謀はすでに優れた管理能力を発揮していた。チームの組織化と技術的課題の解決に長け、この3年間の経験が半導体製造の精密な要求を理解する土台となった。
テキサス・インスツルメンツ時代:マネジメント能力の開花
1958年の重要な転機
テキサス・インスツルメンツへの入社:
1958年、張忠謀はテキサス・インスツルメンツ(Texas Instruments、TI)に入社した5。これは彼のキャリアにおける重要な転機だった。当時テキサス・インスツルメンツは半導体事業の拡大に全力を注いでおり、ちょうどエンジニアリングとマネジメントの両方に通じた人材を必要としていた。
エンジニアからマネージャーへ:
テキサス・インスツルメンツでは半導体エンジニアとして出発し、ウェハー生産の業務を担った。技術面で優れた成果を上げつつ卓越した管理の才も発揮し、まもなく上層部から重用されるようになった。
プロセス改善への貢献:
張忠謀は在籍中、同社の半導体プロセスを大幅に改善し、製品の歩留まりと生産効率を高めた。これらの技術的改善は会社に多大なコスト削減をもたらし、彼自身の評判も高めた。
スタンフォード大学での研鑽
1961年の学びの機会:
1961年、テキサス・インスツルメンツの支援を受け、張忠謀はスタンフォード大学で電気工学の博士課程に進んだ。これは会社が彼の能力を認めた証であり、アメリカ企業が人材育成を重視していたことの表れでもあった。
博士号取得の成果:
1964年、張忠謀はスタンフォード大学で電気工学の博士号を取得した。6 この研鑽により理論の深さと業界人脈の両面で一段と高みに達し、TIに戻るとすぐに昇進を果たした。
復帰後の新たな役割:
博士号取得後、張忠謀はテキサス・インスツルメンツに戻り、より上位の管理職を歴任した。ゲルマニウムトランジスタ部門、シリコントランジスタ部門、集積回路部門のゼネラルマネージャーを順に務め、業績とともにTIでの地位を年々高めていった。
人種の壁を突き破る
1972年の歴史的な昇進:
1972年、張忠謀はテキサス・インスツルメンツ・グループの副社長に昇進し7、当時のアメリカ大企業における最高位の華人幹部の一人となった。この昇進は、当時のアメリカのビジネス環境において極めて稀な偉業だった。
半導体グループのゼネラルマネージャー:
張忠謀は同時にテキサス・インスツルメンツ半導体グループのゼネラルマネージャーも兼務し、会社の中核事業部門を統括した。彼のリーダーシップのもと、同社の半導体事業は急速に発展し、世界有数の半導体サプライヤーへと成長した。
25年間のアメリカでのキャリアの総括:
テキサス・インスツルメンツでの25年間で、張忠謀は現場のエンジニアから上級幹部へと上り詰め、半導体産業の技術的なリズムとビジネスロジックを深く理解した。この経験があったからこそ、1987年に台湾へ戻って起業した際、純粋な学術的背景を持つ者よりもはるかに精確な市場判断を下すことができた。
台湾からの呼びかけ:工業技術研究院長時代
1985年、人生の転機
孫運璿(そん・うんせん/スン・ユンスアン)の招聘:
1985年、張忠謀は前行政院長の孫運璿8、工研院董事長の徐賢修(じょ・けんしゅう)、行政院長の俞國華(ゆ・こくか)、そして政務委員の李國鼎(り・こくてい)の強い招聘を受け、工業技術研究院長に就任した。孫運璿は長年にわたり台湾のハイテク産業発展を推進してきた人物であり、張忠謀を台湾へ招くうえでの重要な推進役となった。この決断は彼自身の人生の軌跡を変えただけでなく、台湾のテクノロジー産業の命運をも変えることになった。
コンフォートゾーンを離れる勇気:
当時54歳の張忠謀は、アメリカですでに成功したキャリアと裕福な生活を築いていた。台湾に戻るという選択は、リスクと挑戦に満ちた決断であり、台湾のテクノロジー発展にかける使命感の表れだった。
工研院の改革:
工研院長在任中、張忠謀は研究開発と産業の緊密な結びつきを推進し、アメリカ式のマネジメント思考で工研院の研究方針を整えた。彼の国際的な視野により、工研院は政府の研究機関からより商業意識の強い技術インキュベーターへと転換した。
台湾半導体産業への評価
産業環境の分析:
張忠謀は台湾の産業環境と優位性を綿密に評価した。優秀なエンジニア人材、比較的低いコスト、そして柔軟な製造能力を備える台湾は、半導体製造業の発展に極めて適していると判断した。
受託製造モデルの構想:
工研院在任中、張忠謀は画期的なビジネスモデル——専業ウェハー受託製造——を構想し始めた。この発想は産業トレンドへの深い洞察から生まれたものであり、長年にわたる産業経験の結晶でもあった。
政府支援の重要性:
張忠謀は、半導体産業の発展には資金投入、政策面での協力、人材育成といった政府の全面的な支援が不可欠だと認識していた。彼は政府高官と緊密に連携し、工研院からの技術供与と政府出資という特殊な構造を、TSMCの設立のために勝ち取った。
TSMCの誕生:1987年の革新
専業受託製造モデルの革新
受託製造という理念のブレイクスルー:
1987年、張忠謀は「専業ウェハー受託製造」という革新的な概念を打ち出した9。従来の垂直統合型デバイスメーカー(IDM)モデルとは異なり、TSMCは顧客のチップを受託製造することに専念し、自社製品は設計しないという方針を取った。
ビジネスモデルの革命性:
このモデルの革命性は、ウェハー工場を建設する余力のない企業でも先進的なチップを設計できるようにした点にある。半導体業界への参入障壁を大幅に引き下げ、チップ設計会社が1990年代から2020年代にかけて指数関数的に成長する道を開いた。
産業エコシステムへの影響:
専業受託製造モデルはまったく新しい産業エコシステムを生み出した。設計企業はイノベーションに、受託製造企業は製造に専念することで専門分業を実現し、産業全体の効率を高めた。
TSMCの設立プロセス
1987年2月21日という歴史的瞬間:
1987年2月21日、台湾積体電路製造股份有限公司が正式に設立された。総投資額は約1億4,500万米ドルで、その内訳は政府出資7,000万米ドル(48.3%)、オランダ・フィリップス社4,000万米ドル(27.5%)、民間各社3,500万米ドル(24.2%)だった10。これは政府、民間企業、そして外国投資家が力を合わせた成果である。
株主構成の設計:
TSMCの株主構成には、工研院、オランダのフィリップス社、台湾の民間企業が名を連ねた11。この多様な株主構成が、TSMCに技術、資金、市場という三つの資源をもたらした。
張忠謀の二重の役割:
張忠謀はTSMCの董事長兼総経理(のちにCEOと改称)を務め、会社全体の戦略と日常の運営を統括した。彼のリーダーシップスタイルは、アメリカ式マネジメントの効率性と華人文化の知恵を融合させたものだった。
TSMCの発展の軌跡
初期の挑戦とブレイクスルー
1987〜1990年:創業苦難の時期:
TSMCは設立初期、大きな試練に直面した。専業受託製造はまったく新しいビジネスモデルであり、市場はこれに懐疑的で、顧客がこの概念を受け入れるには時間が必要だった。張忠謀は製造能力の構築と顧客の説得を同時に進めなければならなかった。
技術力の確立:
TSMCの初期の技術は、工研院からの技術移転とフィリップスとの協力によって得られたものだった。張忠謀はチームを率いてプロセス技術を素早く習得・改良し、信頼性の高い製造能力を築き上げた。
最初の顧客の開拓:
TSMCの最初の顧客は、主にアメリカのファブレス(無工場)半導体企業だった。こうした企業こそが専業受託製造サービスを必要としており、TSMCに初期の事業基盤をもたらした。
1990年代の急速な発展
技術先行戦略:
1990年代、張忠謀は「技術先行」戦略を打ち出し、研究開発に多額の投資を行うことで、TSMCがどのプロセス世代でも競合に後れを取らないようにした。TSMCは台湾国内に次々とウェハー工場を建設し、顧客層は初期のアメリカのファブレス企業から、クアルコム、ブロードコム、エヌビディアといった世界の主要設計企業へと広がっていった。
21世紀における主導的地位
先端プロセス競争:
21世紀に入り、半導体プロセス技術の開発はますます困難かつ高コストになっていった。TSMCは業界平均を上回る年間研究開発投資により、先端プロセス分野で主導的地位を維持した。
28nmから5nmへのブレイクスルー:
28nmから16nm、7nmへ、さらに5nm、3nmへと、TSMCはどの世代の先端プロセスでも技術的優位を保ち続け、ハイエンド市場における地位を盤石なものにした。
アップルとの協業という金字塔:
アップルとの協業は2013年のAシリーズチップから始まった。TSMCはiPhoneとiPadの中核プロセッサを受託製造し、莫大な受注規模をもたらすと同時に、TSMCの先端プロセス能力が最も厳しい商業的検証の場で証明されることとなった。12
経営理念とマネジメント哲学
技術革新へのこだわり
研究開発投資の重視:
張忠謀は一貫して技術革新の重要性を強調し、TSMCは毎年、売上高の約8%を研究開発に投じることで、技術面で競合に後れを取らない体制を維持してきた。13 ムーアの法則が物理的な限界に直面する時代にあって、彼の在任中にTSMCは7nmの量産を実現し、5nm(2020年)と3nm(2022年)は彼の引退後の後継チームによる成果である。世代を追うごとに先端プロセスを前へ進めてきたことが、半導体産業全体の発展に製造能力を供給し続けている。
技術と市場のバランス:
張忠謀は技術的優位と市場のニーズの間でバランスを取ることに長けていた。技術的な優位性を保ちながらもその商業的価値を確保し、行き過ぎた先行投資によるコスト高を避けることに意を用いた。
人材育成と企業文化
誠実さを核とする企業文化:
張忠謀はTSMCに、誠実さを核とする企業文化を打ち立てた。彼は「誠実正直、コミットメント、革新、顧客からの信頼」という核心的価値観を重んじ、これらはTSMCの文化の礎となった。
人材育成の重視:
張忠謀は人材育成を極めて重視し、TSMCに体系的なエンジニア研修・昇進制度を築いた。彼は人材こそが企業の核心的な競争力だと考えており、TSMCは業界平均を大きく下回る離職率を保ちながら、劉德音(りゅう・とくおん/マーク・リュウ)、魏哲家(ぎ・てつか/C.C.ウェイ)ら、のちにTSMCを率いる中核チームを育て上げた。
国際的なマネジメントスタイル:
張忠謀はアメリカ式マネジメントの効率性と透明性をTSMCに導入し、近代的なコーポレートガバナンス構造を打ち立てた。同時に華人文化の知恵も融合させ、独自の企業文化を作り上げた。
戦略的思考と実行力
長期戦略の策定:
張忠謀は卓越した戦略的思考の持ち主で、産業のトレンドを見抜き、長期的な発展戦略を打ち立てる力に長けていた。TSMCの「技術先行」戦略は、まさに彼の戦略眼の表れである。
実行力の重視:
戦略の策定だけでなく、張忠謀は実行力も極めて重視した。意思決定からウェハー工場での実装まで、技術ロードマップを正確に進める管理体系を築き上げたことが、TSMCがどのプロセス世代のリズムにも追従できる要となっている。
危機対応の知恵:
さまざまな危機や試練に直面するたび、張忠謀は卓越したリーダーシップと危機対応の知恵を発揮し、TSMCを幾度もの困難な時期から導き、企業の安定した発展を保ち続けた。
引退と継承
2005年、最初の引退
継承計画の始動:
2005年、74歳の張忠謀は引退を宣言し、CEOの職を蔡力行(さい・りきこう)に譲った14。これは彼が綿密に準備した継承計画の一環であり、企業の持続的な発展への責任感の表れだった。
董事長職の留任:
CEOを退いた後も、張忠謀は董事長の職を保持し続け、会社の重要な戦略的意思決定に関わり続けるとともに、継承チームへの指導と支援を行った。
引退後の生活:
引退後の張忠謀は、ビジネスの世界から完全に離れたわけではなかった。APECなどの国際フォーラムに台湾代表として出席し、多くの講演で地政学と半導体の未来についての見解を分かち合った。
2009年の復帰
金融危機という試練:
2008年の世界金融危機はTSMCに大きな打撃を与え、業績の悪化と競争の激化という二重の試練に直面させた。この重要な局面で、張忠謀は復帰を決断した。
CEOへの復帰:
2009年、78歳の張忠謀が再びTSMCのCEOに就任し15、自ら陣頭に立って会社を苦境から導いた。彼の復帰は市場の信頼を安定させ、会社の回復に力強いリーダーシップをもたらした。
劉德音と魏哲家の育成:
二度目の任期において、張忠謀は劉德音と魏哲家ら後継候補の育成に力を注ぎ、会社の将来の発展に向けた人材の備えを整えた。
2018年の正式な引退
継承計画の完了:
2018年6月、87歳の張忠謀は正式に引退し、TSMCにおける31年間の伝説的なキャリアに幕を下ろした16。董事長の職は劉德音に、CEOの職は魏哲家に譲られた。
二頭体制の確立:
張忠謀は「二頭体制」を打ち立てた。劉德音が董事長として対外関係を、魏哲家がCEOとして対内運営を担うこの制度設計は、会社の安定した発展に寄与するものだった。
有終の美を飾った模範:
張忠謀の引退は、企業の継承における模範と見なされている。彼は適切なタイミングで身を引き、次世代のリーダーに十分な活躍の場を与えると同時に、企業の安定した移行を確かなものにした。
世界の半導体産業への影響
ビジネスモデルの革新
専業受託製造モデルの普及:
張忠謀が生み出した専業受託製造モデルは、半導体産業における標準的なビジネスモデルの一つとなった。世界中で数百社にのぼるファブレス半導体企業が受託製造企業のサービスに依存しており、このモデルは産業の発展を大きく後押しした。
産業エコシステムの再構築:
専業受託製造モデルは半導体産業のエコシステムを塗り替え、専門分業を促進し、産業全体の効率を高め、イノベーションへの敷居を下げることで、より多くの企業がチップ設計に参入できるようにした。
グローバルサプライチェーンの構築:
TSMCは世界の半導体サプライチェーンにおける中核ノードとなり、世界中のテクノロジー企業に製造サービスを提供することで、真にグローバルな半導体産業のサプライチェーンを築き上げた。
技術進歩の推進
プロセス技術における主導:
張忠謀のリーダーシップのもと、TSMCはプロセス技術の分野で世界をリードする地位を保ち、半導体産業全体の技術進歩を推し進め、ムーアの法則の命脈をつなぎ続けた。
先端プロセスの民主化:
TSMCの先端プロセスサービスは、規模の小さな設計企業でも最新技術を利用できるようにし、先端プロセスの「民主化」を実現した——数十人規模のファブレス・スタートアップでさえ、TSMCに7nmチップを量産させることができるのだ。
新技術領域の開拓:
TSMCの製造能力はデジタルチップ、AIアクセラレータ、車載半導体といったさまざまな応用分野をカバーし、多様な新興技術に製造基盤を提供している。
台湾にとっての意義:テクノロジー立国の礎を築いた人
テクノロジー産業の発展
護国神山の確立:
TSMCが台湾の「護国神山」と呼ばれるのは、その莫大な経済的価値だけでなく、世界のテクノロジーサプライチェーンにおける中核的な地位ゆえでもある。張忠謀は台湾に、国防を除けば最も代替の利かない戦略的な切り札を築いたのである。
テクノロジー人材の育成:
TSMCの発展は、大量の半導体専門人材を育て上げた。こうした人材はTSMCそのものの発展を支えただけでなく、台湾のテクノロジー産業全体に人材の基盤を提供した。
産業クラスターの形成:
TSMCを中心に、台湾には設備サプライヤー、材料サプライヤー、パッケージング・テスト工場を含む半導体産業クラスターが形成され、莫大な産業価値を生み出している。
経済発展への貢献
GDPへの重要な貢献:
TSMCはすでに台湾最大の企業となり、台湾のGDPに対して極めて重要な貢献をしている。同社の成功は関連産業の発展をも牽引し、多くの雇用を生み出した。
輸出貿易の柱:
半導体は台湾の輸出総額のおよそ3分の1を占めており、TSMCの成功は世界貿易における台湾の地位を大きく高め、台湾経済の競争力をも強めた。17
投資環境の改善:
TSMCの成功事例はより多くの国際投資を呼び込み、台湾の投資環境を改善し、世界の投資家の目に映る台湾の地位をも高めた。
地政学的な影響
テクノロジー主権の重要性:
今日の地政学的環境において、半導体技術は大国が争奪する中核的な切り札となっている。TSMCが世界最先端のプロセスを掌握していることは、台湾に国際社会で代替の利かない戦略的地位をもたらしている。
国際関係における切り札:
TSMCが世界のテクノロジーサプライチェーンで占める中核的な地位は、半導体問題において台湾に、大国でさえ無視できない発言力を与えている。アメリカ、EU、日本が相次いで補助金を用意しTSMCの工場誘致に動いたことは、この地位の実質的な重みを物語っている。
安全保障戦略における考慮:
各国が半導体技術を重視する動きは、台湾に新たな安全保障上の挑戦と機会をもたらしてもいる。各方面の利益をいかに均衡させ、TSMCの競争優位をいかに保つかは、台湾の外交・安全保障政策における中心的な課題の一つである。
個人の資質とリーダーシップスタイル
先見性と実行力の融合
卓越した戦略眼:
張忠謀の最大の資質は、卓越した戦略眼にある。産業のトレンドを見抜き、将来の発展の方向性を予見する力——この先見性こそがTSMCの成功の鍵となる要因だった。
実務的な実行能力:
先見性に加えて、張忠謀は卓越した実行能力も備えていた。戦略構想を具体的な行動計画へと落とし込み、実行のあらゆる細部を追跡する——戦略的思考と実行力を兼ね備えたこの能力は、企業社会において相当稀有なものである。
生涯学習の姿勢:
高齢になってからも、張忠謀は幅広い読書と産業動向への関心を絶やさなかった。毎月2冊の英語の本を読む習慣を保ち、『ニューヨーカー』誌は70年間途切れることなく読み続けた。本人いわく、それらの本は「どれも文学ではない」という。こうした姿勢が、晩年に至っても彼の思考を鋭敏なまま保たせた。
リーダーシップスタイルの特色
カリスマ型のリーダーシップ:
張忠謀は強烈な個人的魅力と説得力を備え、チームを共通の目標に向けて奮い立たせる力を持っていた。彼の講演や文章は複雑な概念を常に明快に伝え、社員や業界関係者から深く敬われていた。
理性的な意思決定への一貫性:
重要な意思決定に直面したとき、張忠謀は常に理性的な分析を貫き、事実とデータに基づいて判断を下し、感情や政治的な思惑が意思決定の正しさを損なうことを許さなかった。
長期思考の実践:
張忠謀は一貫して長期的な思考を貫き、短期的な困難や利益に左右されることはなかった。2008年の金融危機が最も深刻だった時期にも先端プロセスの研究開発予算を承認し続けた。まさにこの長期的な視座があったからこそ、TSMCは危機を経てむしろ競合との差を広げることになった。
栄誉と評価
国際的な賞と評価
IEEEの栄誉賞:
張忠謀は電気電子学会(IEEE)から複数の栄誉賞を授与されており、これは彼の半導体技術発展への貢献に対する重要な評価である。
各国からの名誉博士号:
清華大学、交通大学、台湾大学をはじめとする多くの大学が張忠謀に名誉博士号を授与し、テクノロジー産業と教育への貢献を称えた。
ビジネス誌による評価:
張忠謀は『フォーチュン』『ビジネスウィーク』といった国際的なビジネス誌によって、当代随一のテクノロジー産業のリーダーとして幾度も選出され、世界のビジネス界における地位を確立した。
台湾での表彰
政府勲章の授与:
台湾政府は張忠謀に複数の重要な勲章を授与し、台湾の経済発展と科学技術の進歩への卓越した貢献を称えた。
産業界からの尊崇:
張忠謀は台湾の産業界から「半導体の教父」として尊崇され、その経験と知恵は後進の企業家たちが学ぶ模範となっている。
社会的影響力への評価:
ビジネス上の成果にとどまらず、張忠謀の社会的な影響力も広く認められており、台湾社会の発展への貢献は各界から高く評価されている。
哲学的思考と人生の知恵
成功への理解
実力と機会の結合:
張忠謀は、成功には実力と機会の結合が必要だと考えていた。実力は基礎だが、好機を捉えることもまた必要である。彼は準備の重要性を強調し、機会は常に準備のできている者に訪れるとした。
長期的な粘り強さの価値:
彼は長期的な粘り強さの重要性を強調し、真の成功には時間の蓄積が必要であり、焦って成し遂げられるものではないとした。TSMCの成功こそ、その粘り強さの結実である。
革新の必要性:
張忠謀は、テクノロジー産業において革新こそが生き残りの必須条件だと考えていた。TSMCの歴史が示す通り、プロセスにおけるブレイクスルーの手を止めた瞬間、競合がその隙間を埋めてしまうのである。
人生への感悟
仕事と生活のバランス:
事業できわめて大きな成功を収めながらも、張忠謀は仕事と生活のバランスの重要性を説いた。読書や音楽鑑賞を好み、これらの趣味は彼に精神的な滋養を与えた。
社会的責任の担い手として:
張忠謀は、成功した企業家には社会に還元する責任があると考えていた。彼はTSMCを主導して清華大学などの学術機関に寄付を行い、教育政策の議論にも参加して、台湾の高等教育改革について具体的な提言を行った。18
継承の重要性:
彼は知識と経験の継承を極めて重視し、企業内部で後継者を育てるだけでなく、さまざまな場を通じて自らの経験と知恵を分かち合った。
歴史的評価
張忠謀が2018年に引退した時点で、TSMCの時価総額はインテルを超え、世界で最も価値のある半導体企業となっていた。19 彼は31年の歳月をかけて、一見反直観的な命題を証明してみせた——自社のチップを設計しない受託製造専業のメーカーが、デジタル時代全体を支える製造基盤になり得るという命題を。
浙江省寧波からハーバード、MITへ、そしてテキサス・インスツルメンツの幹部から54歳でアメリカでの安穏とした生活を捨てて台湾に戻るまで、彼のどの転身も主流の選択ではなかったが、結果はすべて同じ方向を指し示していた。今日のTSMCの地位は、半導体技術競争の結果であると同時に、1987年、まだほとんど誰も信じていなかったビジネスモデルに賭けた結果でもある。
TSMCの時価総額は2020年7月に新台湾ドル10兆元を初めて突破し、2024年3月には20兆元を突破して、アジアで最も時価総額の高いテクノロジー企業の一つとなった。20 これは1987年、あの賭けに出た瞬間には想像もできなかった規模であり、彼の生涯を最も明確に物語る注釈である。
関連記事
- 台灣企業:台積電 — 1987年にウェハー受託製造モデルで創業し、今や時価総額60兆元を超える護国神山となったTSMCそのものが、張忠謀の最も完全な注釈である
- 施振榮(し・しんえい/スタン・シー) — TSMCの取締役を21年間務めたエイサー創業者であり、「スマイルカーブ」の提唱者でもある。そのカーブが見放した「中段の製造」こそ、TSMCが手がけ現実には最も価値を生んでいる工程だ
- 郭台銘(かく・たいめい/テリー・ゴウ) — 「受託製造」で世界を変えたもう一人の台湾企業家。鴻海の組立受託製造とTSMCのウェハー受託製造は、台湾製造が世界へ羽ばたいた二つの道筋である
- 半導體產業 — 1976年のRCAからの技術移転から護国神山に至るまで、張忠謀が台湾を導き入れた産業戦場の全体
- 黃崇仁(こう・すうじん/フランク・ホアン) — 1990年代末、力晶が聯電に買収されかけたときに張忠謀のもとへ駆け込んだ人物。台湾半導体のもう一つの、崖っぷちの道を歩んだ
- 台灣產業轉型升級 — TSMCは台湾が「受託製造の島」から「テクノロジーの島」へと変貌を遂げた最も具体的な事例であり、この40年に及ぶ転型の中核的な座標である
参考資料
参考資料:
- 張忠謀は1931年7月10日、中国浙江省寧波市に生まれた。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩2
- 1949年にハーバード大学へ入学して文学を学び、1年後にMITの機械工学に転学した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 1952年にMITで機械工学の学士号を取得した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 1955年からシルバニア(Sylvania)で半導体製造の仕事に約3年間従事した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 1958年にテキサス・インスツルメンツ(Texas Instruments)に半導体エンジニアとして入社した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 1964年にスタンフォード大学で電気工学の博士号を取得した。参照:英語版ウィキペディア「Morris Chang」の項目 https://en.wikipedia.org/wiki/Morris_Chang↩
- 1972年にテキサス・インスツルメンツ・グループの副社長兼半導体グループのゼネラルマネージャーに昇進した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 孫運璿(1913–2006)。行政院長(1978–1984)を歴任し、在任中に半導体とハイテク産業を強く推進した。参照:ウィキペディア「孫運璿」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E9%81%8B%E7%92%87↩
- 1987年、張忠謀は「専業ウェハー受託製造」という純粋受託製造のビジネスモデルを打ち出した。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩
- 1987年2月21日、TSMCが設立された。政府出資7,000万米ドル(48.3%)、フィリップス4,000万米ドル(27.5%)、民間3,500万米ドル(24.2%)という内訳だった。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩
- TSMCの設立初期の株主にはオランダのフィリップス社が名を連ねていた。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩
- TSMCは2010年代からアップル向けのAシリーズなどモバイル用プロセッサを受託製造し、2013年以降はiPhoneの中核チップの主要サプライヤーとなった。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩
- TSMCは長年にわたり売上高の約8%を研究開発に投じてきた(比率は年度の年次報告により多少変動する)。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩
- 2005年、張忠謀はCEOを退任し、蔡力行が後任となった。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 2009年、78歳の張忠謀は世界金融危機を受けてTSMCのCEOに復帰した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 2018年6月5日、張忠謀は正式に引退し、劉德音が董事長、魏哲家がCEOに就任した。参照:ウィキペディア「張忠謀」の項目 https://zh.wikipedia.org/zh-hant/%E5%BC%B5%E5%BF%A0%E8%AC%80↩
- 台灣經濟 — 中国語版ウィキペディア — 半導体は長年にわたり台湾の輸出総額のおよそ3割を占めている。↩
- 企業興學美事:「科技管理學院-台積館」慶落成 — 國立清華大學 — TSMCは新台湾ドル1億8,000万元を寄付して清華大学科技管理学院の「台積館」を建設し、2008年4月に竣工した。寄付の主体はTSMCであり、張忠謀個人ではない。↩
- 2018年に張忠謀が引退した時点で、TSMCの時価総額はすでにインテルを超えていた。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩
- TSMCの時価総額は2020年7月21日に新台湾ドル10兆元を初めて突破し、2024年3月8日には20兆元を突破した。参照:ウィキペディア「台湾積体電路製造」の項目 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E7%81%A3%E7%A9%8D%E9%AB%94%E9%9B%BB%E8%B7%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0↩